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zoom RSS 人を名前、続柄、あるいは役目などで呼ぶことの不思議さ----

<<   作成日時 : 2015/02/17 16:36   >>

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人は生まれてこの方、日常の生活の中で、いろんな言葉を自然に覚えて、何の疑問も持たないまま使っている。しかしよくよく考えてみると、とても不思議なことに気が付くこともある。
先日、テレビのトーク番組を見ていてある疑問が湧いたのでそのことで述べてみたい。
登場人物がいうには、自分は娘に名前で呼ばれているというのだ。ほ〜、そんな家庭もあるのかと思ったが、よくよく考えてみると、その方が合理的な面もあると思う。
名前は人間一人一人を区別するために付けられた符号みたいなものだ。一郎、花子、次郎、三郎、などだ。
昔は、女性の名前にはカナ名が多かったようだ。それも二文字だ。
時代劇では二文字のカナ名に「オ」を付けて「オXX」と呼ばれる場面に出会うことが多い。私の母の名前は「ユキ」だったが、近所の人たちには「オユキ」さん、と呼ばれていたことを覚えている。
それはさておき、親子が名前で呼び合うことの合理性に関していえば、仮に大勢の人間が右往左往しているような場所で「お父さん」或は「お母さん」と呼ばれたとしよう。自分を呼んだ人の声を十分識別できる場合は状況把握の為に行動を開始できるが、そうでない場合は、自分の子か他人の子か識別できないことになり、呼ばれた方も右往左往することになる。私は女房から名前に「さん」付けで呼ばれているが、デパートなどで頻繁に名前で呼ばれるといささか恥ずかしい思いをするものだが、年を取るにつれて慣れっこになってしまった。
とは言え、近くにいる場合に小声で呼ばれるのは良いが、かなり離れている場合に大きな声で名前を呼ばれると、いい加減にしろ!と言いたくなることもある。
娘から名前で呼ばれるのは、まあ、良いとしても、息子にその様な呼ばれ方をする事には抵抗を感じない訳でもない。どちらが親か子か識別できそうにないし、バカにされてる感じがするからかも知れない。
いい年をした子供が親と思える人間に、パパとかママとか呼びかけている場面に出会うと、なんとも精神的な幼稚さを感じてしまうが、これだけは、早めに呼び方を「お父さん」や「お母さん」に変更させた方が良さそうだ。
徒然なるままに、こんなことを書いていると、実に纏まらない話になってしまいそうだ。まあ、いづれにしろ暇つぶしなんだから。本当のことを白状すると、やる気が続かないことに根差した現象なのだ。なんともしょうがない現象なのだから。勘弁してもらうことにしよう。 今日はこれにて。

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